物語論について コンテクスト依存に対する疑問

物語性の強い作品について語るとき、歴史的観点、時代背景、イデオロギー、作者といったコンテクストを何故使うのか

物語はもう既に完結し閉じられているというのに、なぜその作品とは関係ないものを挟みこみどうでもいい文脈でもって語らなければいけないのか。
ポニョは宮﨑駿が目指した◯◯だったとか、エヴァは当時のアダルトチルドレンについて表されたものだったとか、白い巨塔は封建的な機構と人間関係を描いたと作者解説を読んでなぜそういう物語だと言い断言するのか。
それは文脈を用いて語るのはインスタントでお気軽でお手軽なものだからだと思う
もちろんその語る内容の質の高低は書き手に依存はするけれど、ただ文脈を用いれば作品をお手軽に語れるってのは甘えだ
逆にいえば文脈をなくした状態で語るのはとても難しい。時代性、文学上の位置付け、作者のことさえも言及せずに作品を語ってみるのは至難の技だ
だからこそ巷に散見する作品考察や作品語りは、既存文脈を使ったもので溢れかえっている。自分が知っているもので解釈することは楽だから
更に言えば、製作者の人間性と絡めた作品批評はもっとも唾棄すべきものだろう
この人は戦前の生まれでとか、薬物中毒の経験があって母子家庭で育ったからこういう作品を描くことができたなどという意見は作品批評でもなんでもなくただの人間批評だ


つまり、作品を語る際、その文脈についてかたるのか、その内容について語るのか、区別すべきであり、その内容理解は文字通り内容について語られた時になされたと看做すべきである