キャッチャー・イン・ザ・ライ 雑考

phony

先ずあらすじについて書こう
ホールデン・コールフィールド、16歳。成績不良のため、退学処分をくらう
しかし彼は退学となる日を待たず学校を去る
この本はこれを含めたその後の三日間の話だ
色々な人に会うんだけど、尼さんを除いて全員、彼はインチキさを感じて失望しちゃうんだよな

主人公は大人の欺瞞に満ちた姿を許せないのだろう


いつだって僕は、会ってうれしくもなんともない人に向かって「お目にかかれてうれしかった」って言ってるんだから。生きていたいと思えば、こういうことを言わなきゃならないものなんだ

とあるように、思ってもいないことを口にするような大人の姿を彼は嫌っていた、でも、彼はヘビースモーカーで、お酒を飲もうとしたり、娼婦と関係を持とうとしたり、ちぐはぐなところもある

逆に子供に対してはすごい優しい目を向けるフィービー、死んだ弟アリー、ライ麦畑でつかまえての詩を間違えて口ずさんでいた少年などを見ればわかる

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ(中略)それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。(中略)ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ」

恐らくこれは比喩でないかと思う、ホールデンは、壁にファックという落書きを見たとき、このような心無いくだらない落書きが、子供の純粋な心を汚していくと思い、怒りを感じた

ある種のものごとって、ずっと同じままのかたちであるべきなんだよ。
大きなガラスケースの中に入れて、そのまま手つかずに保っておけたらいちばんいいんだよ

とあるように、彼は子供のときの心の純粋さを守りたくて、その道から外れそうな子供を キャッチ するような人になりたかった と言いたいのだろう


ホールデンは、1ドルで買った赤いハンチング帽をかぶっている。しかも「キャッチャー」のように、ツバを後ろにしてかぶっている。これは勿論、「子供たちを救うライ麦畑のキャッチャーになりたい」からである
そして、ホールデンはそのハンチング帽をフィービーにあげる
こうすることによって、キャッチャーはホールデンではなく、フィービーになったことを暗示している
でも最後の回転木馬のシーンでは、フィービーに帽子をかぶらされる、書かれていないけど、その時の帽子の向きは逆向きではなく普通の向きだったのではないかなあと僕は思う

前向きにかぶせられる=キャッチャーになんかならなくて良いというフィービーからのメッセージ

その直後雨が降ってくるけど、「赤いハンチングのおかげで、ある意味では助かった」という描写がある。
ツバが前に無いと、物理的にも「助かった」とは言いがたいから

精神的な意味でも、キャッチャーじゃなくなったから「助かった」という描写に繋がるのだと見ることも出来る。
回転木馬のシーンで

ぐるぐる回り続けているフィービーの姿がやけに心に浸みた

とあるが
ホールデンが幼い頃から存在している不変の回転木馬、それに乗って同じところをぐるぐる回り続けているフィービー、それは不変のようであり、不変ではない、でもとびっきり美しい光景。そんな姿に心が洗われるというシーン

と、ここまで考えてみれば

キャッチャーミット

弟のアリーの野球ミットについて作文を書くシーンがある。
この野球ミットも、キャッチャーの使うアイテムだ
死んだ弟の野球ミットには詩が書いてあって、それについて友人のストラドレイターのための作文を代筆してあげるのだが、ストラドレイターにはバカにされる。
この「ライ麦畑でつかまえて」の世界の中では、キャッチャーはことごとく小さな子供だ
だから、ホールデンにとってのキャッチャーは妹であり、死んだ弟でもある、ということになるのではないか

まぁどうでもいいが「小さな子供たちを救うキャッチャーになりたい」と語るホールデンが、その小さな子供(妹のフィービーなど)にキャッチされる、というところが少し面白いかなと思う

さておき
アヒルの行く先を憂慮しているホールデンは、自分の行く先の不明瞭さとアヒルとを重ね合わせているのではない
恐らく、最初らへんの
『そりゃ少しは将来のことも心配してます。してるな。たしかに、してます』ちょっと、僕は、自分の将来のことを考えた。『でもたいしてしてないと思いますね。たいしてしてないと思います』
と対応する

またミスタ・アントリーニ先生には、「君が今はまりこんでいる落下は、ちょっと普通ではない種類の落下だと思う」と言われてしまう
ライ麦畑の崖から落ちそうになる子供たちを救いたいのに、もう君は落ちてる、と言われているのだろう

彼は、フィービーなどにキャッチされる前に色々な人たちと話し、そして幻滅している
つまり
ホールデンの住む世界には、そうした彼の思考と感情に共感する人間はいなかった、そこで彼は、「孤独だ」「気が滅入った」と繰り返しながらも、心のつながりを求めて遍歴を続けるわけである

何度も何度も電話をかけようとしたり、折りあるごとに「ことづて」を伝えてもらおうとするのは、彼のこの気持を示す象徴的な動作であろう

「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」          
「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。絶対にちがう。まったくもう、なんでそんなことを言うんだよ?」 (中略) 
「アリーは死んでるんだよ。自分でもいつもそう言ってるじゃない!」
「死んでるってことはわかってるよ!(中略)それでもまだ僕はあいつのことが好きなんだ。それがいけないかい?」 (中略)
「そんなのぜんぜん意味ないことじゃない!」
「すごく意味あることだよ!意味なんてちゃんと大ありだよ!どうして意味がないなんて言えるんだ?どんなことにでもしっかり意味があるってことを、みんなぜんぜんよくわかってないんだ。僕はそういうことにクソうんざりしちまっているんだ」 

そして、答えに窮したホールデンはフィービーとこうして話していることも、大事だと零す

 I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes.

多分、これは僕のタダのイメージなのだが、ホールデンはライ麦畑で、落ちかけているんだけど、それから逃れる為に、何も言わず、何も見ずいようとした、彼に必要なのは彼がなろうとした、キャッチャー・イン・ザ・ライ、だったのだろう