キャッチャー・イン・ザ・ライ 雑考2

ナイン・ストーリーズ』の中の「エズミに捧ぐ」を一読しよう

それはともかく、というかそれと関連して、というか、この小説の隠されたプロットの一つは「子殺し」即ち死への誘惑だろう。サリンジャーは、主人公のホールデンが「パパに殺される!」とフィービーに何度も言わせている。ホールデン自身同部屋のストラドレーターに殴られて血まみれの姿で寮を脱け出すのだが、その寮はストラドレーターに「ここはまるで死体置場みたいじゃないか」と言われる場所である。葬儀屋をしている卒業生が多額の寄付をして建設され、その名がついた棟なのだ。そしてストラドレーターの吹く口笛は『十番街の虐殺』である。小説の最後の部分、精神に異常をきたし始めたホールデンが行きずりの子どもを案内していった先が博物館のミイラのある場所だった。「そこはなにしろ落ちついて静かで、気持ちがよかった」のだ。

 雪が降って、白一色の「死体置場」から、血まみれの主人公は赤いハンチングをかぶって脱出する。隣の部屋のアクリーに「おれの郷里のほうじゃな、そんな帽子は鹿射ちにかぶるんだぜ」といわれて「こいつは人間射ちの帽子さ」と答えた赤いハンチングは何の象徴だろうか。いったんはフィービーに渡したその赤いハンチングをかぶって、降りだした雨にずぶ濡れになりながら、「僕」はフィービーが回転木馬に乗ってぐるぐる回りつづけるのを見て、「大声で叫びたいくらい」幸福な気持ちになる。「ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、まわり続けてる姿が、無性にきれいに見えた」はたして死は克服できたのだろうか。  

最後に、これは「誰に向けて語られたのか」という問題を提起したい。小説の最後の部分で「大勢の人に話したのを、後悔してるんだ」とある。「大勢の人」とは誰なのか。何のために「大勢の人」に話したのか。「誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身辺にいないのが、物足りなくなって来るんだから。」というラストの言葉は、なんかなあ とは思う